怜々蒐集譚 キノドラマ・キネマ

今まで見た舞台の中で一番かもしれない、こんなにも劇中、観劇後を通して考え続けたのは。それくらい、たくさんの人の重厚な思いが作品にちりばめられていて、情報量の多い舞台だった。

 

まあ、とにもかくにも私が大好きな大正時代が舞台ということで、舞台装置、衣装、音楽、演出等とても好みでありました。溝口さんもおっしゃられていたけど、洋服を着ている人がいれば、和服を着ている人もいる、洋風な街灯や建物があったりする中に和の物も残されている、それが当たり前な時代、とっても素敵だと思う。セットの街灯や椅子に机が素敵で、それだけでテンションがあがる。その中にストーリーテラーとして登場するスーツの溝口さん。推しのセリフから始まる舞台って最高だよね。

出泉と南くんが小田原に向かうというシーンで、後ろのスクリーンを使っての演出があってあれはめちゃくちゃ好き。路線図(?)で順に駅名を大きくしていくことで、移動している感じ疾走感みたいなものがあってすごく素敵だった。

あと、すごく場面転換の多い舞台やったけどわざと暗転させずに、面をかぶった人とかが少し不気味な雰囲気を醸し出して世界観を壊さないよう舞台のワンシーンとしてセットチェンジしてたりしたのはすごくよかったな~。でも少しだけ残念だったのは暗転が多すぎて、隣の人寝っちゃってた、コクコクなってた…。舞台上から客席って案外見えてるからね、気を付けていただきたい….

 

すごく演者の方々のお芝居が上手いなあと感じた舞台だったんだけど、特に出泉役の藤原さんがすごかった。セリフの一つ一つが聞き取りやすくてすごいなと思ったら、声優もされてる人で納得いたしました。ほんとにセリフを聞かせるのが上手かった。何を考えているのかがつかめないような、それでいて鋭い感性を持った出泉の役はほんとに難しいだろうなと思うんだけど、それを飄々とこなしているのがほんとに素敵でした。それと、自分のミスをミスじゃないものにしていたのがかっこよすぎた。たぶん「○○(忘れた)に向かう途中で書斎を見つけた」って言わなきゃいけないところを「書斎に向かう途中で・・・」と逆に言っちゃってて、でもすぐにそれを出泉として訂正してあたかも元からのセリフのように、ミスったように見せなかったのがすごかった。

南くんの生真面目でまっすぐな感じがとても好き。編集者としての仕事を好んで、一生懸命な姿がとってもよかった。出泉の作品をけなされ、激怒してしまうくらいの担当作家に対する愛情はとっても素敵だなと思った。純粋でピュアな南くんが平和に幸せに編集者続けられていたらいいなと思うばかりでした。

 

本当に謎が多くて、分からないことが多すぎて帰ってきてすぐに原作を読んでやっと少し理解した…というレベルでやっぱりわからない。物の怪とか妖怪、幽霊とか心霊的なことだと理解するしかないのかというところに最終的に落ち着いた。

第一幕、吉乃のお話。一人寂しく死んでいった女性を、そばで見ていた犬の百が哀れに思ってなのかその人の姿に化けて話し相手を探していたのかな。なんで一緒に心中しようとするのかはわからなかったけど…。心中しようとするけど誰も死んでないところを考えると、死にそうになって生きる、生きているということの大切さ重大さを伝えたかったのかな。

これはまったく関係ないのかも入れないけど、葛葉さんの一人語りのところもしかしたら吉乃というか百に話しかけてたんじゃないかなと思った。目線がすごく低かったのと、お前が今の状態で板の上に乗っても俺みたいなのにしか見えないって言ってたり、劇場に未練があるのか?的なことを言ってたから、劇場によく出没する吉乃のこと?と思っったり思わなかったり。もしそうなら、あそこでセリフを与えられたことで百は成仏?できたのかな、一幕は無事に完結していたのかなと都合よく解釈しております。セリフが歌舞伎調だったからなんて言ってたのかあんまり理解できなかったのが悔やまれる…。

 

第二幕、烏鷺と乙貝のお話。第一幕の吉乃の話がまったくもってどっかいっちゃっててびっくりだったけど、後から考えると吉乃の話は出泉と乙貝を出会わせるためと心中物という伏線だったのかなと思った。烏鷺は乙貝のこと乙貝の作品を愛していたから、公美子さんによって変わっていく乙貝も作品を見るのも耐えられなくて、乙貝から公美子さんをうばうという方法で彼なりに乙貝を守ったんだろうなあ。例えそれで自分が嫌われたとしても、そうせずにはいられなかった。キネマで恋について話す烏鷺がとても苦しそうで悲しそうで絶対に一般論じゃないだろ⁉と突っ込みたくなった。それに、まさか自分自身が好かれているとは思っていない乙貝が、隣で公美子さんへの憧れとかを語ってるのを見て、「そんなものは幻想だ!」って熱を入れて言ってしまう烏鷺を見るのは辛かった。しかも自分が会いにいってみろと進めたがゆえに、乙貝はどんどん変わっていってしまって本当に苦しかっただろうなと思うと胸が痛い。まあそれを思っても乙貝に対しても公美子さんに対してもなかなかひどいことをしてるよなとは思うけど。

5年後なぜ急に会いに行こうと思ったのか分からないけど(乙貝の作品が公美子さんに会う前のような満足いくもの戻ったからかなともおもうけど)、愛しいひとに久しぶりに会いに行くからきれいな革靴を履いて出かけて行ったのかな。乙貝の家の椿の下に烏鷺の靴が埋まってたのは、新しい革靴を履くということに烏鷺の乙貝に対する思いが表れていたからなのかなとも思った。烏鷺がどの時点で亡くなったのかによって解釈はだいぶ変わるけど、雪山で寒椿をみつけ乙貝の家に行く前に亡くなっていたとしたら、最後の最後に亡霊となって大切な人のもとへいき、傍で見届けられない未練で寒椿を置いて行ったのかな。最後に書いた乙貝に向けての言葉「其は怜々の雪に舞い ゆらぎ落ちたる寒椿 君が庭にぞ咲きたれば せめて明かりに影見しを(私の命は雪に吹かれた椿のようにはかないが ここが君の庭なら窓にうつる君の影だけでも見られたのに)」を思うと何となくそんな気がしてくる。もし乙貝の家に寒椿を届けたが家に入れてもらえず、そのあと雪山で亡くなったとすれば、自分の愛する乙貝の作品が復活し、自分の役目は終わった、また傍で乙貝の作品を見届けることができないならば…と死んでいったのだとしたら少し悲しすぎる気もする。

何はともあれ烏鷺の乙貝に対する想いはすごかったんだなあと。また、烏鷺の才能、作品を想う乙貝の気持ちも大きかったから、夜な夜な左手に烏鷺がとりつき作品を生み出し続けることなったんだろうな。学生時代に交わした「志半ばで筆を折るようなことがあれば、続きを引き継いでくれ」という約束もとてもおおきな意味があったんだろうな。言霊といううから、交わしてしまった約束に縛り付けられていたのかなと感じた。

 

なんだか残酷な話のような気もしたけど、最後に桜が舞っていたのが印象的で。やっぱり桜には新しい季節を象徴するというか、新しいスタートを連想させるような気がしていて、ここからがスタートなんだと、烏鷺の呪縛(?)から解き放たれた乙貝が新たに一歩踏み出したという話だったのかなと思った。キネマの最初に桜茶が出てきてたけどそこも含めて、桜というモチーフから受ける爽やかな明るいラストだったのではないかなとおもいました。新しいスタートを切った乙貝が、素敵な作品を書いて幸せに暮らせることを切に望みます。